大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和33年(レ)625号 判決 1960年2月13日

控訴人 悦男こと原田力

被控訴人 株式会社伊勢丹

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人は、請求の原因として、

被控訴人は百貨店を経営するものであるが、昭和三一年一月一四日控訴人の妻原田初江に対し代金二三、三〇〇円の繊維製品を、同年六月三〇日から同年一〇月一一日までの間控訴人の長男原田立也及びその妻重子に対し代金三九、六八〇円の繊維製品家具類等をそれぞれ売渡した。

そして被控訴人は百貨店業者の慣例に従い、特定の顧客に掛売の口座を利用させていて、控訴人に掛売の口座を設け、毎月二〇日締切分の代金をその月末に支払う約で、取引を重ねてきたものであり、前記取引は控訴人の妻、子が控訴人の右口座を利用してなしたものである。

ところで百貨店営業の取引においては一般に、口座名義人の家族がその口座を利用して掛売をした場合は、売主において家族であることを確認する限り口座の本人が代金支払の責任を負う商慣習があり、被控訴人は控訴人の家族であることを確認して右の取引をなしたものであるので、控訴人は右慣習に基き売買代金を支払うべき責任を負うものである。そして、右代金合計六二、九八〇円の内金四、〇〇〇円の支払を受けたので、その残金五八、九八〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日の昭和三三年一〇月一〇日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べ、

控訴人は、答弁として、

控訴人が百貨店営業者である被控訴人と掛売の口座を利用して取引をなしたこと、昭和三一年一月一四日控訴人の妻初江が右口座を利用して被控訴人から代金二三、三〇〇円相当の品物を買受けたこと及び初江が四、〇〇〇円の支払をなしたことは認めるが、その他の被控訴人主張事実は認めない。

もつとも同年六月三〇日以後の分は、控訴人の長男立也の妻重子とその兄堀江芳衛とが買受けて、芳衛が賃借し重子が経営している港区新橋三丁目一六番地料理店「かつぱ」へ配達させたものと想像されるが、右取引は控訴人の妻、子が控訴人に無断でその口座を利用してなしたものであり、且つ被控訴人主張の商慣習は存在しないので控訴人がその代金を支払うべき理由はない。

と述べた。

立証として、被控訴代理人は、甲第一号証(商業帳簿)を提出し、当審における証人大野皓志、同大川勝義、同桂川鉄男、同小菅正一、鑑定人桜木平八郎及び同小池省吾の各尋問を求め、控訴人は、甲第一号証が被控訴会社の商業帳簿であることは認め、その内容は知らないと述べた。

理由

控訴人が百貨店業者である被控訴人と掛売の口座を利用して取引をなしたこと、控訴人の妻初江が、右口座を利用して被控訴人から昭和三一年一月一四日代金二三、三〇〇円相当の繊維製品を買受けたことは当事者間に争いがなく、被控訴会社の商業帳簿であることにつき争いのない甲第一号証、当審証人大川勝義及び同桂川鉄男の各証言によれば、被控訴人は、その主張のように、控訴人の長男原田立也及びその妻重子に対し、昭和三一年六月三〇日から同年一〇月一一日までの間に、代金三九、六八〇円相当の繊維製品及び家具類等を売渡したことが認められる。

被控訴人は、百貨店営業の取引においては一般に口座名義人の家族が口座を利用して掛買をした場合には、売主において家族であることを確認する限り、口座の本人は代金支払の責任を負う商慣習があると主張するので、そのような商慣習の存否を検討する。当審証人小菅正一の証言、当審鑑定人桜木平八郎及び同小池省吾の各供述によれば、一般に百貨店においては、顧客の資力信用を調査の上、取引の便宜のために口座を設けて掛売をしているが、口座名義人の家族が、口座を利用して取引をなすについて別段の合意はなされず、特に事前に本人から反対の意思が明示されていない限り、その家族又は使用人から取引の注文を受けたときには、本人の意思を確めることなく、その口座で掛売に応じていて、その支払について本人から異議の出たことは殆んどないことが認められる。

そして右鑑定人小池、桜木は、口座名義人の家族のなした取引について、本人の意思如何を問わず全部本人が責任を負担する商慣習がある旨供述する。

しかしながら前記認定のように掛売の口座が特殊の顧客について設定される事実に鑑み、かかる一部の特殊取引について商取引の集団的安全迅速処理の要請に基き前記の商慣習が発生し存続すべき合理的根拠は見出し難いし、また特殊の取引分野における特別の慣習であるとしても、右鑑定人らが松坂屋百貨店調査室長(小池)、三越百貨店呉服部長(桜木)の地位にあることに鑑みその供述は経営者側の一方的見解の域を出ないものとして前記の慣習の存在は肯認すべき心証を惹起するに足りないところである。もつとも前記のように家族のなした取引について本人が責任を否定し紛争の生じた事例は無に等しいところであるが、前述のように掛売の口座をもつのは相当の資力信用のある者で占められているので自己の欲しない家族の買物についてこれに異議を述べるときは自己又は家族の名誉信用を害することを顧慮し任意に代金を支払つているものと推測されないことはなく、これと反対に自己の意思に反する家族の取引についても、本人が責任を負担させられるべき慣習の存在を意識して自らの責任を認めて代金を支払つている事例の存在を認むべき証拠はない。

元来百貨店では多数の従業員を使用して未知多数の客を相手とする取引であるので、掛売に親しまないのであるが、そうでない特別の顧客に対しては右の原則を固守する必要ないところから掛売口座の取引様式が発生し存在するものと考えられるところであり、このことは一般人が取引を重ねる特定商人との間に信用を生じて掛買をする場合と趣を異にする理由を発見するに苦しむところであつて、掛売制度は畢竟客の便宜を図ると共に百貨店側としても売上を増す営業政策上の措置に外ならないというべきであり、特に売主が百貨店であつても、被控訴人主張のような特別の商慣習が発生し存在するには本人の支払責任に関する別段の合意等特別の事情又は理由がなければ、たやすくこれを肯定するに困難といわねばならない。そして右の特別の事情又は理由の主張はなく且つその存在を認むべき資料のない本件においては前掲鑑定人らの供述は、いまだ採用に由ないところである。

よつて、被控訴人主張の商慣習の存在は認め得られないので、その存在を前提として前示売買代金の支払を求める被控訴人の請求は失当であり、これを認容した原判決は取消を免れないので、民事訴訟法第三八六条、第九六条及び第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 佐藤恒雄 野田宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例